手付を打ったあとでも、契約をやめられますか。
民法557条1項は、買主が売主に手付を交付したときは、買主はその手付を放棄し、売主はその倍額を現実に提供して契約の解除をすることができると定めています。理由は要件とされていません。ただし、その相手方が契約の履行に着手した後はできないとされています。何が着手に当たるかは条文に書かれておらず法律の判断になりますので、当社が判定することはしていません。
要旨
手付による解除と、債務不履行による解除は別の制度です。前者は理由が要らず、相手方が履行に着手する前までで、損害賠償の請求が残りません。後者は相手の不履行と催告を要件とし、損害賠償が別に残ります。どちらの話をしているかで、読むべき条文が変わります。
キーワード契約と登記/手付
買主が決まり、売買契約を結ぶ。その席で買主から売主に手付が交付されます。任意売却でも、この形は通常の売買と変わりません。ところが契約のあとに事情が変わることがあります。売る側の気持ちが動くこともあれば、買う側の資金の見込みが変わることもある。そのとき、契約をやめる道はどこに書かれているのか。
本稿は、手付を交付したあとに契約を解除する道が民法上どう定められているのかを確かめます。要点を先に書けば、手付による解除と、債務不履行による解除は別の制度です。要件が違い、いつまでできるかが違い、あとに残るものも違います。この二つを重ねて考えると、手元の契約書が読めなくなります1。
条文をそのまま読みます。
買主が売主に手付を交付したときは、買主はその手付を放棄し、売主はその倍額を現実に提供して、契約の解除をすることができる。ただし、その相手方が契約の履行に着手した後は、この限りでない。
2 第五百四十五条第四項の規定は、前項の場合には、適用しない。
短い条文ですが、読みどころが四つあります。
第一に、解除の理由が要りません。相手が約束を破ったかどうかを問わずに解除できる形になっています。手付を交付したという事実だけで、双方に解除の道が開いているのです。
第二に、売主の側は倍額を現実に提供して解除します。倍返しすると口で言うだけでは条文の要件を満たしません。現実の提供という言葉が置かれていることには意味があります。
第三に、ただし書の主語です。できなくなるのは「その相手方が契約の履行に着手した後」です。自分が着手していても、相手方がまだ着手していなければ、自分の側からの解除の道は残っている読み方になります。どちらが着手したかで結論が変わる書き方なので、主語を飛ばさずに読む必要があります。
第四に、2項です。民法545条4項は、解除権の行使は損害賠償の請求を妨げないと定めています。ところが557条2項は、その規定を手付による解除には適用しないとします。手付による解除では、損害賠償の請求ができない仕組みになっているということです。手付の授受で清算が完結する。ここが債務不履行による解除との、いちばん大きな違いです2。
もうひとつの道が、相手の不履行を理由とする解除です。民法540条1項は、契約または法律の規定により当事者の一方が解除権を有するときは、その解除は相手方に対する意思表示によってすると定めます。同条2項は、その意思表示を撤回することができないとします。言ってしまえば戻せない、ということです。
当事者の一方がその債務を履行しない場合において、相手方が相当の期間を定めてその履行の催告をし、その期間内に履行がないときは、相手方は、契約の解除をすることができる。ただし、その期間を経過した時における債務の不履行がその契約及び取引上の社会通念に照らして軽微であるときは、この限りでない。
原則は催告です。相当の期間を定めて履行を求め、その期間内に履行がないときに解除できる。ただし書があり、不履行が契約および取引上の社会通念に照らして軽微であるときは解除できません。何が軽微かは条文に書かれておらず、判断の問題になります。
催告をせずに解除できる場合も定められています。民法542条1項は五つの場合を挙げます。債務の全部の履行が不能であるとき。債務者が全部の履行を拒絶する意思を明確に表示したとき。一部が不能または一部の履行拒絶があり、残存する部分のみでは契約をした目的を達することができないとき。特定の日時または一定の期間内に履行しなければ目的を達することができない場合に、その時期を経過したとき。そして、催告をしても目的を達するのに足りる履行がされる見込みがないことが明らかであるとき。
解除の効果は545条です。各当事者は相手方を原状に復させる義務を負い、金銭を返還するときは受領の時から利息を付さなければなりません(1項・2項)。そして4項が、解除権の行使は損害賠償の請求を妨げないと定めます。手付による解除で外されていたのが、この4項でした。相手の不履行を理由とする解除では、損害賠償の話が別に残ります。手続の全体像は相談から引渡しまでに置きました。
任意売却でも手付は授受されます。ただし通常の売買と違う点がひとつあります。決済までに、債権者が抵当権を外すことに同意している必要があるということです。同意が得られなければ、所有権移転登記と抵当権抹消登記を同時に行う決済ができません。不動産に関する物権の得喪および変更は、登記をしなければ第三者に対抗できないからです(民法177条)。
では同意が得られなかったとき、契約はどうなるのか。これは民法ではなく契約書の問題です。解除の条件をどう定めているか、その場合に手付をどう扱うか。答えは条文ではなく、目の前の契約書に書いてあります。当社が媒介する取引では、契約の前にこの条項の意味をご説明します。
ここで、混同されやすい条文を一つ挙げておきます。
宅地建物取引業者は、自ら売主となる宅地又は建物の売買契約の締結に際して、代金の額の十分の二を超える額の手付を受領することができない。
2 宅地建物取引業者が、自ら売主となる宅地又は建物の売買契約の締結に際して手付を受領したときは、その手付がいかなる性質のものであつても、買主はその手付を放棄して、当該宅地建物取引業者はその倍額を現実に提供して、契約の解除をすることができる。ただし、その相手方が契約の履行に着手した後は、この限りでない。
条文の冒頭に「自ら売主となる」と書かれています。この規定が働くのは、宅地建物取引業者そのものが売主になる取引です。当社は売買の媒介を行っており、自ら売主にはなりません。したがって当社が媒介する任意売却に、宅地建物取引業法39条は当たりません。手付の額の上限も、39条を根拠に決まるものではないということです3。
買主が宅地建物取引業者で、その業者が売主になる別の取引であれば話は変わります。誰が売主で、当社がどの立場にいるのか。それによって当たる条文が変わります。当社の取引上の立場については任意売却とはに整理しました。
最後に、相談の場でよく聞く言葉に触れておきます。「手付を打ってしまったから、もう戻れない」。民法557条は、相手方が履行に着手する前であれば戻る道を残しています。戻ることを勧めているのではありません。条文にそう書いてあるという事実を、判断の材料として置いておきます。ご自身が今どの段階にいるかは今どこにいるかで確かめられます。
注
参考文献
この記事のよくある質問
民法557条1項は、買主が売主に手付を交付したときは、買主はその手付を放棄し、売主はその倍額を現実に提供して契約の解除をすることができると定めています。理由は要件とされていません。ただし、その相手方が契約の履行に着手した後はできないとされています。何が着手に当たるかは条文に書かれておらず法律の判断になりますので、当社が判定することはしていません。
民法545条4項は解除権の行使が損害賠償の請求を妨げないと定めていますが、557条2項はこの規定を手付による解除には適用しないとしています。条文の組み立てとしては、手付の授受によって清算が完結する形になります。これに対し、相手の不履行を理由とする解除(541条・542条)では、545条4項が働くため損害賠償の問題が別に残ります。個別の契約書に置かれた定めもあわせてご確認ください。
宅地建物取引業法39条1項は、宅地建物取引業者が自ら売主となる売買契約について、代金の額の十分の二を超える額の手付を受領できないと定めています。これは業者そのものが売主になる取引の規定です。当社は売買の媒介を行い、自ら売主にはなりませんので、当社が媒介する取引にこの条文は当たりません。手付の額は当事者の合意によることになり、契約書の記載をご確認ください。
同意が得られなければ、所有権移転登記と抵当権抹消登記を同時に行う決済ができません。その場合に契約がどう扱われるかは、民法ではなく契約書に置かれた条項によります。解除の条件をどう定めるか、手付をどう扱うかは、契約ごとに異なります。当社が媒介する取引では、契約の前にこの条項の内容をご説明しています。条項の効力についての判断は弁護士・司法書士におつなぎしています。
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富士ヶ丘サービス株式会社/宅地建物取引士 大石浩之(静岡県知事 第027186号)。 記事の内容は執筆時点の法令・公表資料にもとづきます。 個別の事案の見通しを示すものではありません。