要旨
遺産分割で「家も債務も長男が」と決めても、債権者に対して当然に効くとは民法は書いていません。902条の2は、相続分の指定があっても債権者は法定相続分に応じて請求できるとし、909条ただし書は分割の遡及効が第三者の権利を害することはできないとしています。承認するかどうかを決めるのは債権者です。
遺産分割協議書に、こう書かれることがあります。「不動産及び当該不動産を目的とする債務は、長男が承継する」。相続人の全員が署名し、実印を押す。家をもらう人が返済も引き受ける。話し合いとしては筋が通っています。ところが数か月後、家を受け取らなかった相続人のところへ、金融機関や保証会社から通知が届くことがあります。
本稿は、この食い違いがどこから来るのかを条文で確かめます。先に結論を書けば、相続人の間で決めたことは、債権者に対しては当然には及びません。民法902条の2の本文と909条ただし書が、そのように書いています1。これは協議書の書き方が悪いという話ではなく、制度が家族の合意をどこまで外側に効かせるかという設計の話です。
順に、三つのことを見ます。相続が開始したとき、家と債務がそれぞれどう分かれるのか。相続人の取り決めが債権者に及ぶために、条文は何を要求しているのか。そして、対抗要件と登記の期間が、家を売る場面とどこで交わるのか。
図1 合意の届く範囲。出典:民法899条・902条の2。破線は相続人の間の合意を、矢印は債権者からの権利行使を示すもので、金額の多寡を表すものではない。
1. 相続で、家と債務はどう分かれるか
民法896条本文は、相続人は相続開始の時から被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継すると定めます。そのうえで、相続人が数人あるときの扱いを二つの条文が分けて書いています。
ひとつは898条1項です。相続人が数人あるときは、相続財産はその共有に属するとされ、同条2項により、その共有持分は900条から902条までの規定で算定した相続分によります。だからこそ誰が何を取るかを決める必要が生じ、907条1項が、共同相続人はいつでもその協議で遺産の全部または一部の分割をすることができると定めています。
もうひとつが899条です。各共同相続人は、その相続分に応じて被相続人の権利義務を承継する、と書かれています。家は分けるべきものとして残り、債務ははじめから分かれている。この非対称が出発点です。
896条には、本文に続けてただし書が置かれています。被相続人の一身に専属したものは、この限りでない、というものです。条文がここで外しているのは、その人でなければ意味をなさない権利義務です。金銭を払う義務は、誰が払っても結果が同じになるため、この外側には置かれていません2。
図2 遺産に属する物と債務の扱いの違い。出典:民法896条・898条・899条・907条1項。相続の当否を示す図ではなく、条文が置いた区分だけを示している。
では「相続分に応じて」承継するとは、どう分かれることなのか。899条はその一語で済ませており、分かれ方の説明を置いていません。手がかりは債権総則にあります。427条は、数人の債権者または債務者がある場合において別段の意思表示がないときは、それぞれ等しい割合で権利を有し、または義務を負うと定めます。分けられる債務は分けて負うのが原則です。
ただし、この原則には別段の意思表示という例外の入口が置かれています。436条は、当事者の意思表示によって数人が連帯して債務を負担するときは、債権者は連帯債務者の一人に対して全部または一部の履行を請求することができるとします。夫婦が互いの債務を連帯して負う形の住宅ローンでは、はじめから分かれない形で組まれていることがあります。同じ「相続」でも、元の契約がどちらの形かで、承継される債務の姿が違うということです。
人で切ると、もう一つ別の系統が見えます。被相続人が誰かの保証人になっていた場合、その保証債務も896条本文の「一切の権利義務」の中に置かれます。家の登記事項証明書を見ても、この債務は現れません。相続で承継するものの範囲は、家の登記からは分からないのです。
時間で切ると、相続には条文が置いた区切りがあります。915条1項は、相続人は自己のために相続の開始があったことを知った時から三箇月以内に、相続について単純もしくは限定の承認または放棄をしなければならないと定めます。起算点は死亡の日ではなく、知った時です。同項ただし書により、この期間は利害関係人または検察官の請求によって家庭裁判所で伸長することができます。
この三箇月が過ぎるとどうなるか。921条2号は、期間内に限定承認または相続の放棄をしなかったときは単純承認をしたものとみなすと定めます。920条により、単純承認をした相続人は無限に権利義務を承継します。何もしないことが一つの選択として扱われる構造です。同条1号は、相続財産の全部または一部を処分したときも単純承認とみなすとしています3。
放棄の効果は939条にあります。放棄をした者は、その相続に関しては初めから相続人とならなかったものとみなされます。方式は938条が定める家庭裁判所への申述です。話し合いの場で「私は要らない」と述べることとは、条文の上では別のものとして書かれています。922条の限定承認は、相続によって得た財産の限度でのみ弁済すべきことを留保する形ですが、923条により、共同相続人の全員が共同してのみこれをすることができます。
図3 熟慮期間の起算と満了。出典:民法915条1項・920条・921条2号。目盛りの間隔は日数の比を表すものではなく、期間の伸長を示すものでもない。
2. 民法902条の2の本文と、909条ただし書
被相続人が遺言で相続分を指定することはできます(902条1項)。では、指定があれば債権者もそれに従うのか。民法は、そうしませんでした。
民法902条の2(相続分の指定がある場合の債権者の権利の行使)
被相続人が相続開始の時において有した債務の債権者は、前条の規定による相続分の指定がされた場合であっても、各共同相続人に対し、第九百条及び第九百一条の規定により算定した相続分に応じてその権利を行使することができる。ただし、その債権者が共同相続人の一人に対してその指定された相続分に応じた債務の承継を承認したときは、この限りでない。
本文は「指定がされた場合であっても」と書きます。900条・901条、つまり法定相続分に応じた請求ができる。ただし書は、債権者が承認したときは別だとします。承認するかどうかを決めるのは債権者です。選ぶ側が外側にいるという構造が、この一条に置かれています4。
図4 分岐の形。出典:民法902条の2。承認がどのような場合にされるかを示すものではなく、条文が置いた二つの帰結だけを示している。
遺産の分割そのものについても、似た形の線が引かれています。909条は、遺産の分割は相続開始の時にさかのぼってその効力を生ずると定め、続けて「ただし、第三者の権利を害することはできない」と書いています。さかのぼるという強い効力を与えながら、その効力が外側の第三者を巻き込むことは認めない。二つの条文は、同じ考え方を別の場面で書いたものと読めます。
ここで注意したいのは、909条ただし書も902条の2も、相続人の間の合意を無効にする条文ではないことです。協議は協議として効きます。効かないのは、債権者に対してです。債権者から請求を受けて支払った相続人が、取り決めに基づいて家をもらった相続人に請求する余地は残ります。
そのうえで、条文の文言そのものを見ておきます。902条の2ただし書は「承認したとき」と書くだけで、承認の方式を定めていません。他方で、誰に対してするかについては「共同相続人の一人に対して」と個別に書かれています。方式は条文に置かれておらず、相手方は個別に置かれている。承認があったかどうかは、条文を読むだけでは決まりません。
債務者そのものを入れ替える仕組みは、相続の章ではなく債権総則に置かれています。
民法472条(免責的債務引受の要件及び効果)
免責的債務引受の引受人は債務者が債権者に対して負担する債務と同一の内容の債務を負担し、債務者は自己の債務を免れる。
2 免責的債務引受は、債権者と引受人となる者との契約によってすることができる。この場合において、免責的債務引受は、債権者が債務者に対してその契約をした旨を通知した時に、その効力を生ずる。
3 免責的債務引受は、債務者と引受人となる者が契約をし、債権者が引受人となる者に対して承諾をすることによってもすることができる。
2項と3項に、経路が二つ書かれています。債権者と引受人の契約による形と、債務者と引受人の契約に債権者の承諾が加わる形です。どちらの経路にも債権者が出てきます。債務者となる者どうしの契約だけで完結する形は、条文に置かれていません。
周辺の条文も並べておきます。472条の3は、引受人は債務者に対して求償権を取得しないと定めます。472条の4第1項は、債権者は債務者が免れる債務の担保として設定された担保権を引受人の債務に移すことができるとし、ただし引受人以外の者が設定した場合にはその承諾を得なければならないとします。担保や保証は、債務が移っても自動では付いてきません5。
書面で切ると、この違いは手元の紙の枚数として現れます。遺産分割協議書と、免責的債務引受の契約書は別の紙です。前者は相続人の間で作られ、後者には債権者が当事者または承諾者として登場します。協議書が手元にあることと、債権者に対して免れていることは、条文の上では別のことです。
図5 二つの書面の違い。出典:民法472条・472条の4・902条の2・909条。どちらの書面を作るべきかを示す図ではなく、条文が要求する当事者の違いだけを示す。
3. 対抗要件と、家を売る場面への接続
外側に対して効かせるには何が要るのか。899条の2第1項が答えを置いています。相続による権利の承継は、遺産の分割によるものかどうかにかかわらず、法定相続分を超える部分については、登記、登録その他の対抗要件を備えなければ第三者に対抗することができない、というものです。
図6 対抗要件の要否の境目。出典:民法899条の2第1項。帯の長さは説明のための図式であり、実際の割合や金額を表すものではない。
同条2項は、承継した権利が債権である場合の特則です。相続分を超えて債権を承継した共同相続人が、遺言または遺産の分割の内容を明らかにして債務者に通知をしたときは、共同相続人の全員が通知をしたものとみなされます。対抗要件の形は、権利の種類によって書き分けられています。
当面の支払いについては、909条の2が別の道を開いています。各共同相続人は、遺産に属する預貯金債権のうち相続開始の時の債権額の3分の1に自らの相続分を乗じた額について、単独で権利を行使することができます。ただし法務省令で定める額が限度とされ、行使した分は遺産の一部の分割により取得したものとみなされます6。
登記については、期間の定めが置かれました。
不動産登記法76条の2(相続等による所有権の移転の登記の申請)
所有権の登記名義人について相続の開始があったときは、当該相続により所有権を取得した者は、自己のために相続の開始があったことを知り、かつ、当該所有権を取得したことを知った日から三年以内に、所有権の移転の登記を申請しなければならない。遺贈(相続人に対する遺贈に限る。)により所有権を取得した者も、同様とする。
起算点は、相続の開始があったことを知り、かつその所有権を取得したことを知った日、と二つを重ねた書き方です。同条2項には別の起算点があり、法定相続分に応じた登記がされた後に遺産の分割があったときは、分割の日から三年以内とされます。一つの家について、期間が二度動く場合があるということです。分割が長引く場合のために、76条の3が相続人である旨の申出という道を置いており、期間内に申出をした者は義務を履行したものとみなされます。
図7 二つの起算点の前後関係。出典:不動産登記法76条の2第1項・2項、76条の3。目盛りの間隔は年数の比を表すものではなく、個別の事案でいつまでに何をすべきかを示すものでもない。
この期間と、滞納の進み方は並行して動きます。同じ家についての話でありながら、起算点も、届く書面も別です。ご自身の段階の確かめ方は今どこにいるかに整理しました。
分割の協議が調わないときの受け皿は907条2項で、家庭裁判所への請求です。その手続の中に、売却に関わる規定が置かれています。家事事件手続法194条1項は、審判をするため必要があると認めるときは、遺産を競売して換価することを命ずることができるとします。2項は、相当と認めるときは相続人の意見を聴き、任意に売却して換価することを命ずることができるとし、ただし共同相続人中に競売によるべき旨の意思を表示した者があるときはこの限りでない、と書いています。
195条は、特別の事情があると認めるときは、共同相続人の一人または数人に他の共同相続人に対する債務を負担させて、現物の分割に代えることができるとします。いずれも家庭裁判所が判断する事柄であり、当社が見通しを述べる領域ではありません。語の整理は用語集に置いています。
売る場面に話をつなぎます。抵当権は、相続があっても不動産に付いたままです。誰が相続したかによって担保が動くわけではありません。返済が続かなくなった家を売るときは、相続人の間の分割の話と、抵当権者との配分の話が別々に進みます。分割が調っていなければ共有のままですから、売却には共有者全員の意思が要ります。売却以外の道を含めた並びは任意売却以外の選択肢に整理しました。
- 相続人の間の合意は、相続人の間では効く
- 債権者への効力は902条の2・909条ただし書
- 債務者の入れ替えは472条(債権者が出てくる)
- 登記の申請には三年の定めがある(76条の2)
先に申し上げること
誰がどれだけ債務を負うのか、協議書のどの条項がどこまで効くのか——これらは法律の判断であり、当社が申し上げることはしていません。相続放棄や限定承認をすべきかどうかも、承認や免責的債務引受に当たるやり取りがあったかどうかの評価も同じです。当社は宅地建物取引業者として、売るとすれば誰の意思が要るかを一緒に確かめ、法律の判断を要する事項は提携する弁護士・司法書士におつなぎしています
7。
小括
相続人の間で決めた債務の分け方は、相続人の間では効きます。債権者に対して当然に効くとは、民法902条の2も909条ただし書も書いていません。債務者を入れ替える472条の二つの経路にも、いずれも債権者が現れます。他方で、対抗要件(899条の2)と登記の申請期間(不動産登記法76条の2)は、家の側に別の時計を置いています。本稿は条文の線を確かめたにとどまります。当社の立場は
私たちの立場に、手続の説明は
任意売却とはに書いています。
注
- 本稿でいう債権者には、住宅ローンの貸主のほか、代位弁済によって債権を取得した保証会社が含まれる。誰が現在の債権者であるかは、届いている書面の差出人で確かめられることが多い。↩
- 民法896条ただし書にいう一身に専属したものの範囲を、条文は列挙していない。被相続人が保証人であった場合の保証債務の扱いも、保証の種類によって議論の分かれる領域であり、本稿は立ち入らない。↩
- 921条1号にはただし書があり、保存行為と、602条に定める期間を超えない賃貸は処分に当たらないとされている。↩
- 902条の2ただし書は「共同相続人の一人に対して」承認したときと書いており、承認の相手方を個別に定めている。全員について一律に効くという書き方はされていない。↩
- 472条の4第3項は保証をした者があるときについて第1項を準用し、同条4項は、その承諾を書面でしなければ効力を生じないと定める。↩
- 909条の2は、預貯金債権の債務者ごとに法務省令で定める額を限度とすると定めている。限度額は民法の条文には書かれていないため、本稿では数値を挙げていない。↩
- 弁護士法72条は、報酬を得る目的で法律事件に関して法律事務を取り扱うことを弁護士でない者に禁じている。遺産分割の協議がまとまらないときの家庭裁判所への請求は907条2項が定めている。↩
参考文献